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細腕繁盛せず記

http://www.oksguide.com/  (岡田製作所ホームページ)
http://oks.lolipop.jp/index.html  OKSガイドカタログ版 

YouTube: コンパス金具の二次加工機

この機械は方位磁石(コンパス)の中心に使われている、ガラス軸受けを取り付ける、真鍮金具の穴をテーパー状にする自動機です。それによって穴の縁が薄くなり板状の方針(虫と言っている)の穴にカシメ易く成ります。NC旋盤や自動盤で、長い真鍮棒から外観と穴が明けられたものを突っ切り落とすのを一次加工と言います、一個ずつになったのの反対側を加工するのを、二次加工と言います、一個ずつ人手でチャッキングしなくてはなりません。コンパスの中心に見えてるのがこの金具です、石もはいっています。

  

此れが石頭と言うコ ンパスの軸受けです。下は虫に金具をカシメタものです。

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これはコンパス完成品。 

  ¥1200円(消費税別途)

詳しくはOKSカタログ版の方位コンパスをご覧くださいhttp://oks.lolipop.jp/index.htm

又は方位コンパスのページをどうぞhttp://oks.lolipop.jp/connpasu%202.html

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かわはぎ竿に付けられたダブルインナートップ(ヒルゴン)   


YouTube: ヒルゴン PE−ライン用トップガイド¥1000円(消費税別途)で中通しガイドの糸がらみしない特性を外付けガイドで実現させたもので手作り成ればこそ。下の竿に付けられたトップは糸を通し安く改良したタイプ。

片足ガイドは吾亦紅と称する高性能だが漆の砥ぎが二倍掛かる為使われない片足ガイドで、吾亦紅も私も赤い花なのよと訴えていると同じなんだ。ちょっと悲しい響きのがいどです。

Dscn1587_3 Dscn1604 http://www.oksguide.com/

Dscn1605 昭和45年ごろだったかはっきりはしないが,OKSがレコード針のナガオカから仕事をもらうことになり、針の他の事業として生産していたクリスタルの軸受けの穴石

(東芝が東南アジアむけ戦後賠償替わりに積算電力計を輸出その中の軸の振れれとめにつかわれていた)を作らしてもらう交渉が成立色々と仕事を出してもらうことでスタートしたのです。当時レコードで使うダイヤ針が当たりに当たり大変な利益をあげていた。クリスタルの仕事場も針の生産にしたほうが良いと思っていたので,丁度タイミングの良い申し入れだった訳けでした。   引き受けたのは良いが何しろ 技術が伴ってなく方位磁石に使う石(クリスタル)の毎月20万個の生産は手放さなくてはならず数の少なかった穴石をひきうけざるを、えませんでした。  この出始めの選択の間違いがOKSの繁盛せず記の始まりになったのです。東芝の賠償は数年で終わってしまうのです。

(下の写真は石鯛ガイドSICリング入りOKSの最強ガイド 上の初めの写真は竿名オニヤンマ故元野竿師作OKS最新糸がらみ防止トップを付けた かわはぎ竿テストして性能確認済み片足ガイドもからマンズガイド付きの最上級品今は浜川で作っています.  二番目の写真はヒルゴントップの糸トウシテストのものです)    

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写真の説明が長くなったのは画像挿入テストでうまくゆかず3枚入ってしまった。                                     【オクトパス緊急情報】オクトパスリールシートがなくなるとのことですので急きょ作ります。もうとまりません。詳しくはOKSホームページで。 Dscn1650 Dscn1832
オクトパスクロームメッキ完成品。¥5600円(消費税込価格)

Dscn3586_2 金メッキ品¥8000円(消費税込価格)                             

OKSは昭和41年に会社にし、結婚したのが27歳、順調だったのは2年位で、東芝の仕事が終わってしまってからは、安定した注文がもらえなくなってしまった。レコード針の仕事をナガオカの社長に頼んで出してもらう様にしたり。(社長は私の事を一目置いてくれていた 当時ナガオカは精工舎の時計石の、生産を受注していた。機械時計には振り石 という、ルビーで加工したパーツが使われています。振り石というのは、外形が0.2ミリ位の円柱形をしています。外形を丸く加工しただけでは長過ぎるので丈をつめ,正確に寸法も出さなくてはなりません。   そこで寸法の出してある鉄板の上にラックという熱で軟らかくなるのものを塗り,ヤトイと言うガラス製の2ミリ角棒状で、長さ4僂曚匹里發里鯑麕楪廠僂冒箸漾鉄板に張り付けその鉄板を斜めに立てて置き直角のかどを下にしたところへ振り石の長めの物をピンセットで一本ずつ置いていき,2兒擁になったところで角のガラス棒を井桁に組みラックトいうヤニで品物を寄せて鉄板に直角立てる。この工程の整列を人海戦術でこなしていたのを見て、相棒を組んでいたM氏と画期的方法で解決してしまった。  8~12人位は少なくなった、研究部として初の合理化の実績であった.  他にも連動プレスと言う、鉄板に石を張り付ける時のネジプレスの手動の作業を、モーターとクラッチリレー回路を組み合わせた電動による、ねじプレスにして男子の仕事から女子にも出来るように、したりとかアナログ的計数器等も作った。それらの事は他の研究員は何もできないでいたので、かなり認められていたのであった)。振り石の整列機は見せないように囲っていたのに技術部長が精工舎の連中に得意になって見せてしまったのには開いた口が塞がらなかった。

   【OKSの石鯛ガイドを搭載した竿水さんの和竿のバランステストこの曲りは先端と手元が綺麗な放物状の曲りになっています、えものが掛かると竿は満月状態になります。】胴調子のショックを緩衝する和竿のすばらしい性能です。竿水さんは今や細身の石鯛竿の頂点を極めています。詳しくはTEL0467−31−2665までなおOKSのホームページに詳しく竿の映像を載せています。

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 【オクトパス情報2、最終絞りも出来たのでいよいよ実現可能がDscn1944

近まったと言えます】2011年2月28日ベースのプレス品できてきました。突っ掛けのリベット打ちやって見たが、うまくできます。オクトパスリールシート遂に完成4月5日発売詳しくはOKSのホームページをご覧くださ。 Dscn2028_2 Dscn2022                               ◎王子工業を卒業してパンタグラフ等の鉄道部品と造船用のバルブなどを作っていた工進精工に設計の仕事を覚えたくて入社、本当は成績はトップだったので大手に、行けば人生それほど苦労せずに過ごせたのにとおもうが、後の祭り 現にクラス会であったとき本当に頭悪いのが大手の部長で退職したりしていて 勉強は駄目でも本当は頭いいのだ?  工進で設計の仕事を居眠りをこらえながら覚えていたら現場事務所に行かされてしまった。 そこは大きなコンプレッサーが回っている土間であった、あまり良い環境と環言えないが、そこの係長は小学校しか出てないのにえらく頭の切れる人で王高出の秀才もどきではとてもはがたちません。周りを見ると現場仕込の猛者揃いでして高卒なので一目は多少おかれたと思ってはいたのですが工場長は国鉄からの天下り、4人いた猛者は皆上司の娘婿子たちなのでした、道理で皆態度が大きかった。  此処でも係長が主体の専用機の一部の設計は任されたのですが、出来上がるのが遅いうえに、やたらとSK材の調質の指示が多く現場からは評判が悪かった。  

話し合いで修正してもらいながら作ってもらったが、この機械の完成を見ずにいきなり転職してナガオカに入ってしまった.  工進の現場事務所では隣にはとてもかわいい女の子がいたので掃き 溜めに鶴のごとき良い眺めであった。(やめて1年位だったか池袋の地下で赤ん坊負んぶしていたのを見た。) 此処は設計の仕事も出来たし、工具類の種類の、つかいかた、工具屋に発注するカタログがあること 超鋼バイトの銀ローによる刃先の固定方法など学んだことは後々大変役に立った。     

今でも気になっている採用したギヤーのかみ合わせが自動車のマニアル車の様に歯のサイドから押し込むのと違い,歯の外周からかみ合わせる事にしたので回転が止まってからでなければならず、(歯が壊れる恐れがある)しかし良い点もあったので新方式が試したかった、それと組み合わせにどこでも回転動力の着脱をクラッチの様な摩擦板でなくても出来る様にした方式も考え出していた。(頭初の写真は工進時代弱いバレー部の面々左の立っている人はバレーのほうはさっぱりだが飲み屋とバーの女の子にはやたらと持てていた富士見台の商店街を歩いていると寄ってくるんだ、良く飲みに連れてってもらった。今思えば有難かった。 一方、ナガオカでは飲み助は居らず独立してからはおごる立場だった、キャバレー全盛期の良き時代でした。)二人の写真左は同時に入った中野工業出身 今ブラジルにいる無二の友。3ばい位、力とスタミナがあった。仕事の後広場でバレーの練習していたら彼のサーブが強すぎて工場のガラスを割ってしまった矢作部長に謝りに行ったら、弁償せんでいいよ元気いいな、黒い顔した現場でも一目おかれていた、工員達も一声かをけられれば徹夜で仕事をこなした。意外と優しいところがあって私が辞めた後心配して係長を何べんも説得にこさせた。そのあと暫くして血を吐いて亡くなられた肝硬変だったのでした。なんだかとても済まないなーと 今でもメガネをかけたお酒のすきだったかおを思い浮かべる. やめる理由の一つは,養成工達に給料を渡す役があり何の気なしに目に入った額を見て驚いた残業もしたんだろうが自分の倍位貰うんだから。やっぱり、物つくりをしなければ稼げないんだと思い知らされた。そこでまず転職をして稼ぐかと新聞の募集で 設計のできる人 給料20000円が目にとまった。長岡精機宝石工業であった、それまでは12000円残業含みでしたから、いいぞと思い、もう決まったかなと思ったが電話し

たところ、来てみなさいとなり今までやった設計図などを持ってめんせつしたわけでした。工進は従業員300人ここは600にんもいた。女子工員がほとんどだったので、華やかなもんでした。退社時の10分位前になると、逆毛を立てたり化粧をしたりし、ベルと同時にさっそうと帰って行ったデートするのかそれは分かりませんが、残って居ては彼氏がいないと思われるのがやだったのかも、全部がいるわけないよ。 当時何だか知らないが私は、お釜にねらわれたりした。会社で一人、からおけスナックで一人マヒナノ泣かないでを裏声でうたったら、踊っていた男からすりよられたりした。こっちはその気はないのによ。  私は高卒なので15000円に値切られた,社長が気の毒がって3000円程別にくれた。                  私にとって工進は 工進大学というところです。ナガオカは大学院か?研究部には東芝の設計者や東京工大生二人一人は機械の方もう一人は電気の方、そこでパーツフィーダーや計数器にお目にかかった。かれらは図面は書けないんだ。書いてあげたら喜んでいたっけ、そこで合理化のための手ずくりパーツフィーダーを半田ずけしたりコイルを巻いたりしてつくった、これは計数器の時計石を供給するためのものだった。この学生さんの作った計数機は良く狂ったりした、すると学生さん飛んできて調整するとその時は治るのだが帰るとまた駄目になった。此れの繰り返しを知っていたので相棒のM氏とパーツフィーダー の直線版を作り計数の女の子の目を真っ赤にしているのを改善した。同じ部屋に技術部がいてビービ―とうるさかったろうが、研究部の成果を自分がやった顔して精工舎に見せたのだから、文句も言えないさ。この計数をしていた女の子たちは社長のお気に入りの可愛い子ばかりだった社長は何時もアメやると言っては、手を触っていたとか、まーちょっとスリル楽しんでたんでしょう。 そこでM氏曰くたまには海に気晴らしに連れてってやろうかとなり、こういう事は一番年長のまとめやくに話すのが一番いいんだと私が話をつけやくで・・・。Dscn1717 Dscn1713  Dscn1706

(岩の上で帽子かぶっているのがぴーちゃん。矢代亜紀似がM氏と先行き結婚する)

作戦道理成功朝5時ごろ上野集合4人でいくことになった。番長さんだけ来るには来たのだがどうしても行けなくなり、(理由は忘れた)目を赤くして見送ってくれた、あの顔は今でも忘れられない、でもなまえが、出てこないんだ。(後で聞いたところ…木村なんとかさんだった)。長浜海岸をめざした途中の砂浜でバレーボールをしたり相撲をしたりした,M氏は法政経済学部の野球部出身でやたらと腕力がつよく 負けてばかりだったので、最後に必殺の内掛けで、一番勝てた、一寸面目が立ったかなDscn1613   彼М氏は海に行ったのが縁でその一人とむすばれた。俺の方は一人気に入ったぴーちゃんというのがいたので、何人かで池袋にスケートやりにいった、スケート初めてだったか忘れたが目の前ですってんと頭を打ってしまった、随分心配してくれたが、高校は勉強ばかりしていたので、さっぱり良いとこ見せられなかった、小さいころ、泥のたまり水滑るのは巧かったもんだが…、6人で映っているのはナガオカ研究部の面々で右は社長がどこかの会社の設計やる人を引き抜いてきたんだが何の仕事していたのかは覚えていないがステレオを作っていたな、結構ボリュウムはでていた。真中は化学と英語が得意の学者さん、ダイヤに真空炉を使って酸化しないでギンローとSKロット棒の先に接合する仕事の研究等が会社としては必要な人材だったのかもしれないが。大量にできないので真空蒸着による方式に変わらざるを得なくなった。これは誰でもできてしまうんで、遂には台湾がレコード針を作るようになったのだが、品質の点でナガオカの針は不動であった。右から二人目は係長でサファイアのサイズ選別のふるい、を作る名人でして社長のお気に入りでした、研究部に来てこの方の職人技を色々見て覚えたのです、ばねの作り方とか、ドリルの砥ぎ方とか何故か研究部はレコード針の実験と称したかは忘れたが、ステレオ作りが流行っていてそういう雑誌をに見ていて、オーイ若い衆こういう回路知っているかいと、見せてくれたのが自己保持回路だったのです。今思い出しても良くそれを重要なものだと分かったのが不思議な気がします。その頃はまだ電気回路はラジオの音質を良くする事位しかやっていなかったので、だがきっとリレーの使い方の本質が読み取れたのでその回路を覚える気になったのではと思う。此れにより機械と電気の両方を操れるようになったのでした、最もこれを学校で習ったとしても、それを応用出来るとはかぎりませんが。まー昔の会社というのは、役に立つ者もいたが、ほとんど何の働きもしない者が、まじっていても煩いこといわなっかたんだ、今の様に最高学府を出た者を分単位秒単位でシステムの一つとして働かせる、最低の経営者揃いになって、いるんですよ。だから開発した、大切な技術も簡単に競争あいての外国に平気で売り渡してしまう人格者が増えてどうにもならない状況を作り出しています。ある大手のなんとか二―、等は三次下請けが苦労して作った試作型の設計図を強制的に出させて中国に持って行ってしまうことを繰り返し。遂には仕事も出さなくしてしまう使い捨てを行っているのですよ。そこは5~6人もの若い男子を使って型えを作っていたのですが、ついには社長は体を壊し亡くなってしまい、残ったのは跡継ぎの1人になってしまい仕事もろくになくネットオークションでアイディア品を作って稼いでいます、たまに中国から難しのをやってくれと言われたりしてます。              そんな折にOKSとしてはなけなしの資金でオクトパスの発注をしたのです。 うちも毎月10万~20万赤字です、何とか均衡させなければと頑張っています。若い者から子育て真っ最中の40代まで仕事がない世の中にしてしまっているのは、誰のせいなのか心無い経営者が充満しているからです。本来の日本の心が戻らないと皆幸せになれません。兎に角若い学生は大手企業の搾取者に手を貸したりしないで、小さい所に就職して思うぞんぶん能力を発揮すればいいんだ、我々の若いころあの超優良企業の日立精機が無くなる等と誰が考えただろうか。自分の力で凄い会社にすることの方がどんなに人生面白いか、oksも苦しんでる今が一番良かったのだときっと思う日が来るこれが信念です。振り返ってみるとそうなんですもう45年も会社やっています経験から、そういえます。

写真真中の女性は振り石の整列の実験に手伝いできたひとで…、8歳年上だった、好きな人がいるので相談に乗ってほしいと幼稚な手段で誘い出し喫茶店でもごもごしていたらあたしの事と見破ってくれた、しかし結婚等しない事にしてるからと、まして31だったかな、すぐおばあさんになちゃうのに、止めときなさいと言われてしまった。最もですがそういうわけであっさり断られた、だけどかなり胸はたかなっていたようだった。その時の事段々とぎれとぎれだけどおもいだしたんだが、胸の気持ち打ち明けてみたとてきっと駄目だろうとはおもっていたけれど、やっぱり駄目かとなったとき、なんだか自分のけなげさに、涙がでてしまった。でそのあと、常盤台にいた中学の同級生で話せる奴の所に行って、ウイスキーを飲んだ、確か日大芸術学部出たんだたかな、妹がいたんだ、1回だけ何故かコーヒー飲んで話したことあった、ちょっと俺には分からないきがした、彼はその後北海道に行くのでと、便り貰ったがそのまんまにしてしまった。バカなことしょたよ、今親友でいられたと思うが、中学ではもう一人の3人とで貸本よみあさっていた、主に山手樹一郎だった、まあ、大衆小説を良く読んだだけど当時は文学小説読まないやつは居ないくらい皆よんだもんだ、高校では大分読んだ、推理ものより面白い面があるしもっといっぱい読んどけばとおもっている、こういうものは若いとき読まねば身につかんよ。

            話戻るが、後でわかったんだが、彼女はあい棒のM氏に、気があったとかで手鍋下げてもといっていたらしかった、彼は年上は駄目だったらしく先にも言ったとうり海に行った一人と結婚した。年上の彼女結婚はしないと言っていたが、私が口説いたせいで胸に熱い血が再び戻ったのであろうか、若いころ凄い失恋をしてしまい二度と恋はしないと決めていたとか握手をして別れたがその手は情熱に満ちていた気がする。  男子の諸君女性は思いを打ち明けられて怒る人などいませんよ、断られてもまた次があるじゃないか、振った人は自信を持つだろうし、男は一つの仕事を終えて又大きくなれます。でもあんまり振られっぱなしは反省だ。   

彼女その後トラックドライバーと結婚して男の子を生んだ、きっと幸せになっただろうと思う。俺も役に立ったぞ。

その頃ナガオカは上場に向けて大変な時期を迎えていた。私の方は仕事があまりなく、技術部長に頭を下げてサファイアのV石の穴あけの仕事を出してもらう交渉をしていた。セイコーに秘密の技術を勝手に見せた顔も見たくないのに、その場には年上さんもいて話は聞いていたから、どう思ったであろうかあまりかっこいい話ではないよ、一応仕事は出る様になった、ダイヤの四角推を尖らしてベンチレースの改良した機械で、穴を明けるのだが、人が一個ずつコレットチャックにサファイアを入れながらダイアの錐で穴を明け、取り出すのだが、それを1時間ぐらいは自動供給出来る様に改善し数を上げられるようにしたまでは、良かったが、スピンドルの振動がひどくなり加工しても半分に割れてしまう不良が、出てしまいこのような機械では所詮無理なので、止めることとした。残念でした。それから腕時計の黒ガラスの切断の仕事やマグネットの切断などをやった。之は1年位つづいたその間別にガラスリングの仕事も頼まれていたので、かなり売り上げも上がっていた。しかし前にも書いたとうり急にバタバタと無くなってしまった。ナガオカでは課長や取締り部長で味方してくれた人とは良く飲みにいったりしていたので色々仕事出してくれたのだが,長つづきしなかったのは、ナガオカ自体も仕事が年中変わる様になってしまっていたのでした。以前はセイコーの時計石が毎月4〜5000万円有ったのが、ダイヤ針が良かったせいか良くは分かりませんが、もっと利益の上がるものを色々模索していたらしく、トランシーバーのスイショウの振動体の加工や京セラとセラミックの時計の本体の開発等やっていたが、予想を上回る速さで、レーザー針によるCDによって業績が悪化上場の話も駄目になり二代目社長の菱明により、余力のあるうちに、解散したのでした。一代目は目的を達成したので達宣から栄太郎にしたんだったかな。おおぜいいた子供たちには皆会社を持たせ独立させた。しかしそれもナガオカ本体の解散を待たずしてだめになったのだが。今でもレコード針の会社は残っている。二代目は経理のソフトを主力にして事業をやっているようである。詳しことは分かりません。当時楕円針とか、フォーチャンネル用の針等で音質の良さを追求したときが華だったとしみじみ思う、大音量で若者が近所迷惑もなんのその1日中聞き入っていたのが懐かしい、                 今は、CDのつまらない音しか味わえなくなってしまった。ギターの音などはとくに駄目でして、いわゆるラッパの音なんだ、ちっとも琴線に触れることがない、だけど良い音を知らない向きには所詮何でも良いのだろう。もっともだらしがないのはメーカーの技術陣であろうが。そうさせている経営者は等と考えると情けなくなる。国産の機器で良い音を聞こうと揃えるにはミキサー、ラッパ、ダブルカセット、CD2台いる。それでも中国製の昔出した2万円の物に対抗できないんだ。此のステレオは、マイクミキシングが出来るのでレコード、テープやCDのカラオケを流してマイクで歌えばテープに録音出来てしまう。この機能は国産メーカーは1社も出していない、だから前記の国産の機器を集めると30万円位かかってもたいした音は出ないミキサーの端子がいっぱいあればいんだが、そうでないと、目的に応じて配線をつなぎ変えなくてはならず最低のものなのだ。ミキサーもかなり良い物を揃えないと音質も良くない。いったい何やってんだと思う。兎に角一般の電気店には、録音するステレオはいつの間にかまったくなくなってしまった。楽器やからバラバラで各機器を取り揃えないとならなくなっている、けったいな状態なんだ、おそら著作権の問題でメーカーが話し合いで遠慮したのかと、思うが、どうかと思うその間に中国製に機能の点でまけて値段で負けて、音質も大したことないし、つまらない世の中になったもんだよ、又最近の歌ときたらメッセージソングばかりで、長ったらしくて落ちがないんだ。はじめに何言ったんだか分かんなくなちゃう、これじゃーお金だす気が起きません、おふくろが良く言っていましたよ、昔の歌はいいねー、場面が浮かんでくるからと。まったく同感。白虎隊とか、名月赤城山とか、瞼の母とか、風呂につかりながら、歌うんだ、歌詞は覚えなくてはねー、わたしゃ、全部覚えてます、何しろ400曲位歌謡曲から抒情歌まで中国製のステレオでテープに吹き込みまくったからね歌は好きです。赤城山麓の牛肉は赤みがおおいが軟らかくてしかも味が良いのが分かった。国定忠治の心境を歌にした、名月赤城山は凄いもんだよ。感心する。云われまいぞーえやくざの果てーと、さとるわらじーに散る落ち葉。とか1,2,3、番とも感心する。脱線。

           ◎何しろ工業学校を出る時君たちは最新の技術を身に着けたのだから自信を持って仕事に当たるようにといわれていた。しかし会社の方が遥かに進んでいた。給料いただいて色んなことが学べた、残業して図面を提出、上司が岡田君図面が早くて助かるよと…、翌日消しゴムでごしごしヒステリックにけしているので、後で見てみると、なんでこう間違えるのか呆れてしまった。   写真は上司と今の仕事の釣竿に使うガイドリングです。(SICガイドリングで一番小さいリングは外形2ΦのSICリングにチタンカーバイトをコーティングした,OKSだけの超硬質ガイドリングです。特に和竿の人たちから目をかけられています)

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 下の人物写真の左の中央はは設計課長女の子二人はトレース係りで、お茶を入れたり昼食の時皆のぶんのコロッケ等の注文を聞き、買ってきたりします。平田君コロッケ買って来てくれ、今も懐かしい声が聞こえて来ます。

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右は係長で新年会と忘年会で勢力争いをしていた。課長は電車の速度計を考えた実力者、係長は何故か躍進めざましかった。私と無二の松井は両者の家で飲み過ぎて、とまりこんでしまった、係長の家で二人でトイレにはいたら、何だか開かなくなり体当たりしたら桟が壊れてしまった。翌日誤ったが、二十歳の記念すべ     Dscn1609                              きアルコール解禁であった。上は課長の新年会。暴れられても自分の派閥に入れたいかもしれないが、文句も言われなかった。本当にすいません。それにしても、奥さん大変だったろういまそんなことすると言ったら、大騒動といったところでしょう。男の弱った分と言おうか支えてくれる女の人がすくなくなった分日本の弱くなった一因だろうと思っています。支えがいのある男がいないかも。そんなことない、いやどちだ・・・

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暮れに係長で忘年会二日酔いが残っているのに課長の家で新年会、ただ酒とはいえ、また二人で飲み過ぎて泊まり込んでしまった。わたしゃいちょらいのオーバ着て下は学生服だった、金欠の為、女性左は主にコピー係り真中はトレース係りとコロッケ係り。左の女史はもう一人の友人がいて、その友人〇〇さんはブラジルに行った無二の友と結婚したが、その4人で良く人生をいかに等、哲学的な話やら、悩みや不満等良く話し合

った、無二殿は山登りを既にかなり経験していて4人で初めに行った山

Dscn1963 は中央線の柳川で下車、大地峠を越え四方津に出る、藪くぐりの日帰りコースだった、生憎小雨になってしまった。藪くぐりは予想外に時間がかかりいつまで登っても尾根道にでなかった。見晴らせるところに出たが一面の雲海で既に暗くなってきたがちょっと広い道に出たのでこれが四方津に出る道だろうと、懐中電灯を照らしながら一路帰る事にした、が直ぐに道が切れてしまった、もう帰れないので、会社やすむしかない、樵小屋があったので

寒さは防げたのが良かった、当時のヤッケは防水もきいていな安物     なので下まで雨がしみてきたよ、すわ遭難だと家の者は大変だったようDscn1969Dscn1960

だ、翌日は快晴で大地峠にでたら、丹沢山塊の素晴らしかったこと、若気のいたり、小山と思っていたら大間違いなのを、学んだよ。そのあとこりもせず、奥秩父縦走に行った、下の写真スイカを食べてます。そのうまかったこと憮然として食いながら思っていたのはお季(すい)ちゃんコピー係が人知れずリュックに入れてきたのでしたが、道中汗いっぱいかいていたので、お弱いのかな等と思っていた自分がはずかしいDscn1964_2

この右から2番目の彼女は俺の無二の親友の上さんになりブラジルに渡った。

2012-12末に くも膜下出血で倒れ1年半頑張ったが遂に亡くなった享年73歳。くも膜下出血は遺伝的にすでに破れる所が分かっているとの事ですので、あらかじめ調べられるので因しがある人は注意して暮らすことが必要です、一番右の彼女は今から半年くらい前に膵臓がんが発見され、余命半年と言われてしまった、半年ごとに健康診断で調べていたにもかかわらずなんという事だろうか、それまでは自由に山登りして楽しんでおり快調そのものだったのだが、膵臓に影はあったのだががんではないと言われていた、ひどい話である。今は連絡も取れずにいる。ブラジルの無二が3月に報告がてら日本にしばらくいるそうでその時は徹夜で話会おうとお互い決めている。

スイカをかついでふるまった彼女やっぱりもうだめなのかもしれません電話してももうつながりません、最後に話したのはブラジルの彼女にお香典を送りたいからと言って住所を聞いてきた。

無事に届いたと無二から知らせがあったのに、年取ったらとは限りませんががんは本物の場合は放置しておくのが一番良いとかというのはこの時すでに転移が完了しているので手におえないのです、キラー細胞はがんを取り除く事が出来ないのが原理ですから抗がん剤や放射線で苦しい思いをしても寿命は同じだとか手術で治るのはがんもどきだけなんだ。これは放置しても消える場合が多いい。

1年に2回も検診するとがんになる元凶だからやめた方がよい、人間ドックに入って健康診断やってはだめです、癌にならないように日頃活性酸素を除去してがんの元になる遺伝子が傷つかないようにするのが1番です。

膵臓がんが胆管を圧迫していたのでステンの管を入れる手術をした結果寿命を縮めてしまった、黄疸が出てもそれの対応をしていた方が長生きできたと思う、ガンが人間を殺すには拳大になることが必要で彼女の場合そんなに大きくなっていないで止まっていただけに医者を信じたのが運の尽きであった、やっぱり丸山ワクチンをする努力が大変なので、北里病院の治療を信じた結果平均寿命をまっとうできなかった、パイプ手術のあと血栓ができ3週間入院してすかっり弱ってしまい温熱療法を熱心にやっていたのに、寝ていた方が楽だなどというようになってしまった、医者は人体の部分しか見ない悪い癖があり人間の体のことは全く分かっていない、又は分かっているのに算術が優先するらしい、長生きしたけりゃ医者にかかるな。

         

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と反省しながらも、山で食べるスイカは最高だよ。有難う何十年も思いつづけています。右の写真の一番左の彼女は市原?さんとか言って、山登りは兎に角歩くのみよ、とドライな考えに徹していた。この奥秩父の山は歩くだけで なく コマドリが なく こと鳴く事、山にいる鳥だったのをこの時知ったのでした。鶯の声も大きいのですがコマドリが一番よく鳴くし丈夫です。私の父が鳥が好きで飼っていたので良くしっているのです、白内障になっても元気で鳴いてました。猫に足を食べられてしまって、遂に駄目になってしまったが、凄い元気な気も強いが人には慣れていて素晴らし鳥なんです。中学校の英語のはなしにロビンと言ってコマドリの事が書かれていたので、イギリスの鳥かと思っていた位、自分の周りの自然界では声を聞いたことがなっかたので、兎に角此の山で山中に響いていたのには、かんげきでした。この奥秩父縦走というのは最後は、雲取山にでるのですが、上り下りがすごく多くて意外ときついコースでした。すれちがいは、こんちは、こんちはと忙しい限りです。途中道のりを聞かれ教えた時に、簡単に行ける様に言ったら後でベテランさんから注意されてしまった。◎奥秩父縦走7里、コース実行日等…昭34年7月26、27、(日)(月)予算1500円、新宿6時30分発、270円、塩山着9.26分、バスで落合着11時→将監小屋、4時着、(一泊150円)、翌日6時発→雲取山頂 11時30分着→5時間かけてアップダウンの末三峰神社5時10分着→バス最終6時頃。→寄居着東上線帰路ガラガラの車両で遊んだ。

当時新宿駅には山を目指す若者でホームはいっぱい、熱気に溢れかえっていた、もちろん列車満員でした。無事帰って来ると駅の雑踏に立っている自分が凄くでかい人間になったきがした。この気持ちはいった者なら皆経験していると思う。此れが病みつきになってしまうんだが、ほどほどにしないとならないのも、人生なんだ。何しろ稼がねばならないんだ。だけどまだいくつか危ない山登りを経験した。この後八ヶ岳等いくつか登った話などしていると、限がないので、省略。http://www.oksguide.com/  このホームページのOKSの歩みにつながっていきます。クリックしてください。

OKSガイド細腕繁盛せずきのタイトルですが、いつまでもは繁盛しないという意味です。

バブルがはじけるまでは皆と同じように良く働き稼ぎまくったわけです特に磁石石の合理化は目覚ましく高い利益率でした。高校生のころから自己流でギターを練習して古賀メロディーを練習し物事うまくいかないときはこの影を慕いてとか湯之町エレジー等随分慰めになったものです、悲しい曲というのは悲しい人が聴くと励まされるのです、悲しいのに明るい歌を聴いてもむなしいものです。

全音のギターに書かれている吉田矢健二の影を慕いてと木村好夫編曲によるものを練習しました、木村好夫自身の演奏はこれは使っていないと思います、結構難しいです、吉田矢健二の湯之町エレジーなんかも後奏のところは難しいところがあって、そういう風に弾く人はあまりいないのではと思います。

自分は上がってしまう方なので娘のやっていたピアノ教室にギターで古賀メロディー弾いたんですが指に汗が乗ってきて困ったもんでした。短めで終わってしまった、弾きながら歌ったのですが間違えるとみんな喜んでくれて盛り上がったのだが。

孫の慧音に禁じられた遊びを歌ってもらうので共演したのだが、この子は全く上がらないので孫を見たら安心して何とかこなすことが出来た。

2014.08.10 Sunday 20:46 | 
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